15年間リンパ浮腫ケアに携わり、認定リンパ浮腫セラピストの育成や自分の治療院を通して様々な出会いと別れを経験してきました。
スクールの生徒さんも自らが癌患者でありながら、少しでも患者さんの苦痛を和らげたい思いで参加されている方も年々増えています。
5年前に参加していた看護師で看護学校で教えていたA子さんは乳癌ターミナルの患者さんでした。「自分のいのちはあと1年。少しでも後輩に伝えたいから・・・」との思いで受講されました。「竹内先生、がんばってこれを全国に普及してね」受講中に何度か入退院を繰り返しながらも、地方都市に乳癌患者さんの会を立ち上げていました。
地方都市から毎月新幹線で治療院に来ていた乳癌患者のB子さん。
お子さんの小学校入学を楽しみにしていました。
ある日、お風呂に入っていたら「ママのおっぱいがなくなったのは、○○ちゃんが
悪い子だったから?」と聞いてきたそうです。「悪い奴が食べちゃったの」・・・「じゃあ、○○ちゃんが良い子にしていたらおっぱい生えてくる??」・・・
いつもお子さんの話で笑顔がいっぱいでした。
数ヶ月後にスクールの生徒から○○さん、うちの緩和ケアに入院してきました。
竹内先生の話をしていましたよ!と聞きました。数ヶ月後に、彼女に電話を入れたらご主人が
出られて「こんな日が来るのは前からわかっていたはずなのに、辛いです」と泣いて
いらっしゃいました。
治療院に数年間通っていたまだ30代のC子さん。卵巣がんでリンパ浮腫で悩んでいました。おしゃれで可愛い彼女は、いつもご主人との海外旅行やフランス料理の話で楽しませてくれました。半年くらい来ないな・・・と思っていたら「治験もすべて試したけどもうやる事がないので、緩和ケアに入ります。先生、病院に来て下さい」と電話がありました。亡くなるまでの3ヶ月間緩和ケア病棟に通いました。
リンパ浮腫ケアではなく、彼女が望んだのはアロマセラピーでした。
最後のケアの時に、ご家族が心配する中、「フェイシャルに酸素チューブは邪魔」と
外して本当に幸せそうな顔をしていました。途中で痛み止めを飲みながら最後のケア
を終了。そのあとに「先生、もう母が限界だと思う。私は間もなく逝きます。
今日のこのケアと同じ物を母にもやってあげて下さい。お金を今払ってもいい?」
と聞いてきました。死を直前にしてどうしてこんなに優しいのだろう。。。
治療院から訪問看護に移り、ケアを死の2日前まで行ったD男さん。
まだ30歳でした。亡くなってから1ヶ月後に誕生した長女は彼に生き写しでした。
赤ちゃん誕生に絶対に立ち会いたいという一念で、誰もが驚く生命力でした。
浮腫のケアだけでなく赤ちゃんを抱く為の訓練で理学療法士と私の鍼灸ペアで
ケアを続けました。ちょうど今年の8月で赤ちゃんは1歳です。
会いに行こうかな・・・・・
つい最近天国に旅立った乳癌患者のE子さん。
緩和ケア病棟に入院してから数日でした。次の週には自費でもアロマケアをしてほしいと依頼を受けていました。死の数日前のメールで「絶対にがんばる、また会えるのを楽しみにしていますね」・・・最後のメールには訪問スタッフへの感謝の言葉が綴られていました。
乳癌からリンパ浮腫、右手の麻痺は良くなったのに、転移であっという間の最後でした。まだ若かったE子さん。素敵な方でした・・・
たくさんの出会いと別れ・・・・リンパドレナージやアロマケア。
これからもそばに寄り添える人でいたいなと思います。